khurata’s blog

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小説 君の名は。 (新海誠・著)

<この記事は普段フィクションをほとんど読まない私が作者や作品などの情報・評判を全く知らずに、ただ作品だけを読んで好き勝手に書く読書感想です>

 著者の筆致が素晴らしく、ついつい引き込まれて読んでしまう。 文が書けてアニメーションも作れるというのは、控えめに言っても天才ではないか。 キャラクター達も生き生きとしていて、ページから声が聞こえるようである。

 私は、我が国における様々な表現は、東日本大震災以前と以後で変わった・変わるしかなかったと考えていて(明治維新や太平洋戦争などについても同様)、戦後の小説を読む時は発行が2011年春以後かどうかを気にするのだが、本作は東日本大震災を知ったからこそ説得力を持つ描写も有り、我々の時代に即した作品であると思う。

 本作の素晴らしい所は多く挙げられるが、特に、宮水家の不思議な能力について殊更に説明したり掘り下げたりしていない所は良かった。 不思議を科学的・論理的に説明しようとすると、どうしても作者の限界を越えられず、その線で作品は「止まってしまう」からである。

表現者は、受け手が作品を拡げてくれるのを妨げるべきではない、というのが私の持論で、作中の不思議についても受け手・読者に解釈を委ねてしまうほうが作品的には明らかに得である場合が多いと思っている。『北斗の拳』の秘孔や闘気を科学や医学で説明したところでどうなるものでもあるまい)

 ただし、惜しい点も3つほど有る。 最大に惜しいのは、「三葉」である三葉が、町長の父親をどう説得し、全村避難を迅速に強行できたのかが全く描かれておらず、そこに説得力の欠如が生じてしまっている点だ。 そこでは主家と断絶した父親と、巫女の血を引く主家の娘との間の、自らの存在を張った尋常ならざる掛け合いが有ったはずだし、村祭りを強行しようとする村の衆との軋轢も相当なものだったはずである。 そこを1時間そこそこでどう解決したのか、きわめてドラマチックなシーンが有ったと思われるのだが、ここを三葉が、父親が、どう解決したのかが語られないので、三葉が必死に「生」を掴んだ(はずの)ことがぼやけてしまい、「瀧」の必死さだけがアンバランスに際立ってしまう。 三葉は三葉なりに、出来る限りの全てを、文字通り命懸けでやったはずなのだ。 ここが欠けているのが最高に惜しい。 不思議を説明する必要は無くとも、必然は説明しないとぼんやりしたものになってしまうのだ。

 もうひとつの惜しい点は、二人が互いの自宅の固定電話に電話しなかった理由が不明なことである。 互いの携帯電話が通じなかった理由は明白なのだが、「それなら」と自宅の家電(いえでん)に掛けてみるくらいの事は普通にするだろう。

 最後の惜しい点は、これは男女入れ替わり作品について毎度私が思うことなのだが、女の体を得た男の行動の不自然さである。 胸だけでなく、性器を触わるくらいはしてみるだろう。 一般向け作品としてはそんな描写は省かれてしかるべきなのだろうが、それなら三葉がペニスを持ちながら立って排尿する描写だって要らなかったはずである。 座っていたって排尿は出来るし、男の体を得たとは言え座ってするのが女の行動としては自然だ。 このアンバランスさは著者が男性ゆえなのかもしれないが。

 まあ、そうは言っても、本作が傑作であることは間違いない。 まるで自分がそこに居るかのような読書没入感、声が聞こえるごとくの台詞運び、実に見事である。 

小説 君の名は。 (角川文庫)

小説 君の名は。 (角川文庫)

  • 作者:新海 誠
  • 発売日: 2016/06/18
  • メディア: 文庫