khurata’s blog

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「受け手を侮る」事について

mixi日記 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1962260912&owner_id=81557 からの転載)

 ちょっと話題になったこのツイートについて。

壤 晴彦 @HaruhikoJo 7:53 - 2017年8月22日
https://twitter.com/HaruhikoJo/status/900008060495601664

言おうかな?‥言う。もう随分昔、当時の売れっ子脚本家とプロデューサー同席の時「日本のTVドラマは小3の語彙力で書けと言われます」俺「ホント?」P「ウン」俺「小4じゃダメなの?」P「視聴者から『難しい』ってクレームが来るんだよ」‥一国の言語と精神の崩壊‥ガキの国に成り果てた日本。

   こういうの見ると、常に思い出すのがこれ。

小池一夫? @koikekazuo 23:04 - 2015年11月6日
https://twitter.com/koikekazuo/status/662888433270980608
読み手の読解力の無さや感性の乏しさは、創作側の責任ではない。創り手は、どンどン高みを目指すべきである。受け入れられようと、わざわざ自分の方向性を変えたり、レベルを下げたりするべきではない。それは、逆に、読み手を侮る事になる。(小池一夫)

 表現者の端くれとして、私自身は小池先生の考えに同感である。 TV や他メディアにおいて、報道や政治に関しては分かりやすい言葉で語られる方が良いとは思うが、くだんのツイートはドラマ制作に関する事であるから、わざわざレベルを下げる必要は無いのだ。

 ・・・話は逸れるが、小3児童は平均して文章を作る力は貧しいが、語彙力や読解力は意外と高い。
 くだんのツイートの「随分昔」というのがどれほど昔なのかは知らないが、その昔、小学校低学年で流行っていた「ビックリマンチョコ」に付いてきたシールの裏面がどんなものか、ご存じだろうか。 オモテ面がキラキラしている事は大人にもよく知られているが、裏面はこんなである。

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正直言って、半世紀近く生きている私でさえ、難しいな、と感じる。 「当時の売れっ子脚本家とプロデューサー」は、おそらく小3をナメていたと思われる。 その時、彼らに子があって、子がどういうモノで遊んでいたかをちゃんと知っていれば、そういう発言や発想には至らなかったかも知れない。
 これはいわば「小3版の『厨二病』」のようなもので、高学年になると、こういうモノで喜ぶのは「痛い」と分かり、ビックリマンでは遊ばなくなっていく(※1)。

 さらに昔、これは私自身の話で恐縮だが、小1か小2の頃に、親が買い与えてくれた児童向け『西遊記』(福音館書店)は、目次だけ見てもこんなだった。

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「こんなの低学年の子供が読むのか」といぶかしまれるかも知れないが、当時の私にとっては最高に面白い読み物だった。 もはやお分かりだろう、こういうモノは「子供なりの厨二心」を大変に刺激するのだ(笑)。

 かつて子供扱いを嫌っていた子供が大人になって、大人向けのコンテンツを作るにあたり、「『難しい』というクレームが来るから小3の語彙力で」などと考えてしまうのは、貧しい考えである。

 下げていけば限度無く下がってしまうだろう。 むしろ意識して上げていかねばならない。 難しいモノの中にこそ至高の面白さや味わいがあるのだという事を大人自身が知らなければ、エンターテインメントは後退するばかりである(※2)。
 近年、TV がつまらないなどと言われる遠因は、「下」に合わせて下げる、そこにこそ有るのではなかろうか。

 

※1
 だからと言って、これを製作していた大人達が「痛い」と言うつもりは無い。 全くの妄想・推測だが、ビックリマンチョコ(のシール)は、大人達が子供達と真剣勝負した結果生み出されたのだ。
 自分らの子供時代を振り返ってみても分かるが、子供は「子供扱いされる事」を非常に嫌う。 大人にとってさえ難しいと感じるほど「子供だましでない本気のモノ」を作ったからこそ、ビックリマンチョコは人気になったのだと私は考えている。


※2
 興行として実施されるスポーツにも似た事が言える。 競技レベルが上がっていくからこそ、スポーツは見ていて面白いし、スター選手も生まれる。 「100メートルを10秒切るのは難しいから、次回から90メートル走にしましょう」なんて事を繰り返していたら、興行スポーツは滅びるだろう。 もっとも、レベル上げだけに眼目を奪われ禁止薬物を使うなんて事になると、これはおかしな話になってしまうが。