khurata’s blog

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女性の頭脳労働者

 先日、Mastodon の日本語話者界隈の一部で、女性の頭脳労働者・技術者の話が飛び交っていた。 どういう話だったのか、正確な流れは追えなかったけれども、おおむね、「昔は女性の頭脳労働・技術者は珍しくなかったと言うが本当なのか」という話だったように見えた(違ったら申し訳無い)。

 ざっと見た感じ、その話をしていた方達はだいたい若く、昔の女性労働についてのイメージが農業や主婦業にとどまっているように見受けられた。

 しかし、高齢者である私の思い出をたどれば、かつて「手工業」や「手仕事」は、だいたい女性の仕事だった。

 電話交換手、タイピストENIAC 出現前の大量の弾道計算、初期のコンピュータープログラムのパンチャーさん、架(「が」、いわゆるラックマウントのこと)の大量配線、ラジオやテレビの組み立てライン、……これらは洋の東西を問わず、ほぼ女性の仕事だった。 今も iPhone の中国工場勤務は、ほとんど女性な気がする。

 ちなみに、私が「女性の頭脳労働者」と言われて真っ先に思い出すのは、次の2人だ。

 まずは COBOL 言語の生みの親、グレース・ホッパー米海軍准将(COBOL は「Java に取って代わられる」と言われ続けながら、今もって現役で使われ続けるプログラミング言語)。

 次は DNA が2重らせん構造である決定的な証拠を握った、ロザリンド・フランクリン氏(氏がノーベル賞を受賞できなかったのは、ノーベル賞史上最大のスキャンダルだと私は思っている)。

 もちろんこれだけではなく、19世紀からこっち、数知れぬ多くの女性頭脳労働者・技術者が働き続けていて、それで現代社会は回っている。

 男女間の差別を煽るような議論において、「もし男性がいなくなったら女性は社会基盤を運用できないのではないか」という話が出る事があるが、意外とちゃんとやるのではないか、と私は思っている。 仕組みに乗るだけのラクをしたい、という人達もいて、仕組みを作りたい、という人達もいる、それは男女ともにそうだろうと思うからだ。