khurata’s blog

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失われる信義

 医療に係わる人達の倫理観は大切だとよく言われるが、こういう事件を見ると実にそうだなと思う。

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190414/k10011883441000.html

オランダの医師 体外受精に無断で自分の精子 49人出産

2019年4月14日 8時08分

オランダで不妊治療のクリニックの院長だった男性医師が、治療を受けた女性に無断で体外受精に自分の精子を使い、49人の子どもを産ませていたことがわかりました。男性医師はほかにも子どもを産ませていた可能性があり調査が進められています。

この男性医師はオランダのロッテルダム近郊にあった不妊治療のクリニックの院長で、2年前に89歳で死亡しました。

AFP通信などによりますとこのクリニックで不妊治療を受け体外受精で産まれた子ども本人やその両親が子どもたちと医師の容姿が似ていることに気付き、医師の遺族を相手に裁判を起こして関係性を明らかにするよう求めていました。

その結果、医師のDNAの提供を受けて鑑定を進めたところ、49人の子どもについて親子関係が認められたということです。

このクリニックは1980年代から90年代にかけて地域最大の精子バンクとして知られていたということで、この頃に産まれた子どもたちはすでに20代から30代になっています。

子どもやその両親を支援するNGOでは医師が治療を受けた女性に無断で自分の精子体外受精に使っていたとしていて、医師がほかにも子どもを産ませていた可能性があることから、クリニックを利用した人たちに検査を呼びかけるなど調査が進められています。

 

 「男性医師」がその重大性を知らなかったはずはなく、故意でないはずもない。 多くの人命を私物化し、親子関係に基づく社会の存立基盤をも揺るがす行為は許されるものではないが、実行者はすでに故人であり、その「治療」を受けた母親や親族、その「治療」で生まれた子らの思いのやり場も失われてしまった。

 このような医療技術が無かったならば、悪用される事もなく、悲劇も無かったのだが、それを言っても始まらないし、技術の進歩は止められない。 止められない以上、それを扱う人の倫理観だけが、結局のところ最終的な安全装置なのだが、そんなふわふわしたものが「最終的な安全装置」である現実は変えられないのだろうか。 ことは医療技術だけにとどまらない。 IT にしてもそうだ。 扱う人間にちょっと「魔が差した」り、「自暴自棄になった」り、「気まぐれを起こす」だけで、技術はとんでもない方向へと使われてしまう。

 技術を扱う当事者の「正常な精神状態」における倫理観だけが、技術への信義を担保している。 しかも倫理観は人によって少しずつ違う。 人類は今後もずっと、そんなふわふわしたものの上に社会と生活を構築して行くしかないのか。

 残念ながら、少し考えたくらいでは、良い答えは見いだせそうにもない。