khurata’s blog

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メタバースが普及しない…

 この記事を読んで思うことをつらつらと書く。

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 この記事は楽観的だが、メタバースセカンドライフのように「ひっそりと続く趣味人の領域」で在り続けると私は予想している。
 似たような予想をしている知人さんの意見を聞くと、「価格が高い」とか「パッと使える環境が整っていない」などの理由付けが有り、それももっともだと思うのだが、私が考える理由は別のものだ。

 

 たとえば自家用車は、メタバース設備とは比較にならないほど高価だし、維持費もかなりのもので、取得や運転には面倒な免許や法律の勉強が必要だし、事故時の身体・生命・財産のリスクはきわめて大きいのに、我が国をはじめとして多くの国で普及している。
 自家用車やバイクに払えるカネと労力を、人々はなぜ安くて安全なメタバースに注ぎ込まないのか、そこに「メタバースが普及しない理由」が在る、と私は考える。

 

 当たり前のことだが、クルマやバイクでなければ出来ないことは、クルマやバイクが無ければ実現できない。 いくら IT 技術や VR 技術が発展しようとも、家族や友人を乗せ、荷物も載せて、雑談しながら遠乗りしたり、旅行したり、という事は、実際の自家用車を使ってはじめて実現できる。 本物のクルマを使わなければ経験できない体験というものが確かに有る事を、我々は誰もが分かっている。 その体験を我が物にしたくて、我々は何十万とか何百万というカネを自家用車に注ぎ込む。

 翻ってメタバースはどうだろうか。 メタバースで出来る事は、現実の生活の模倣もしくは延長線上の事である。 模倣の範囲は現実の生活よりきわめて広くもあるし、また狭くもある。
 メタバースは、一瞬で外国の観光地や月面旅行に出掛けることが出来る一方で、キャンプ地でするバーベキューを現実のように楽しむことは出来ない。 湿度と木々の香りを含む風、用具設営の疲れ、炭火の熱、肉の脂が炭火に落ちて上がる香ばしい煙、飛びはねる油、野菜の美味しさ、後片付けで手に付く汚れの面倒さ、そうしたものはまだメタバースには無いが、クルマを使えば体験できる。

 思うに、メタバースという命名それ自体にも、問題が含まれている。 今のところ、メタバースで出来ることは、メタ(超)バースではなくオルト(代替)バースだ。 オルトバース「でしかないもの」に、わざわざメタバースという「なんだかすごそうな」名前を付けたところに、私は、命名者が内心に持つ後ろめたさのようなものを感じ取るし、また、メタバースという名を広めれば広めるほど、「実際はオルトでしかない」後ろめたさを、人々に広めてしまうのではないかと思う。

 

 考えようによっては、自家用車の出現こそは、まさに「ある種のメタ(超)バース」を実現する手段の出現であった。 クルマを持てば、クルマの無い人生では体験し得ない人生が拓かれるのだから。 だからこそ世界で多くの人々が、決して安くもない自家用車を買い求めたのではなかろうか。

 実体験としての新しい人生を提供し得ないメタバースは、「画像と音だけならスマホ画面で良いじゃないか」という結論を、多くの人に抱かせるだろう。 スマホはコンパクトだし、不格好で重くて不快なヘッドセットを付けたり、周囲に空間を確保したりする必要も無い。 オルトバースを体験するために、多くの人々がどちらを選ぶかは、ほとんど自明だ。