khurata’s blog

khurata’s blog

Windows 10 のタスクバーの微妙な話

 ウチでは Windows 98SE 以来ずっと、デスクトップのタスクバーは上に配置している。 各アプリケーションのウインドウのメニューバーは上にあるから、こうする事でマウスの移動距離が短く済むし、視線をいちいち上下させる煩わしさも無くなるからである。

 とは言え、この使い方をしている知人さんはいないし、ネットでも見かけた事は無いので(下にしていない場合、右か左にしている例が多い)、上にする使い方はレアケースなのだろう。

 

 最近、Windows 10 日本語版 64ビットにおいて、タスクバー上の位置調整ができない場合が有る事に気付いた。 新規に設置したツールバーの右側に、そこそこ隙間があるにも関わらず、そこに動かせないのだ。 つまり、新規ツールバーと通知領域の間に、無意味な無駄空間が出来てしまうのである。

 21H1 に更新した後に気付いたので、当初は 21H1 固有の問題かとも思ったが、21H1 に更新してもこの問題が出ない PC も有って、何だか良く分からなかった。

 実用上、大きな支障にもならないので、しばらく放置していたが、ある時、ふとタスクバーを下にしたら、見慣れないアイコンが「無意味な無駄空間」に出現した。 何だこれは、と思ってタスクバーを右クリックしたら、メニューに「ニュースと関心事項」という見慣れない項目が。

 これを「無効にする」にしてからタスクバーを上に戻すと……新規に設置したツールバーが右に動かせるではないか。

 つまり、ツールバーの動きを阻んでいた「無意味な無駄空間」は、「ニュースと関心事項」が在るべき場所だったのだ。

 タスクバーが上に在る時、タスクバーに「ニュースと関心事項」は表示されず、右クリックメニューにも「ニュースと関心事項」が無い。 だから今まで気付けなかったのである。

 

 ウチのようにタスクバーを上にする使い方はレアケースだろう。 だからといって見落としが許容されるわけではない。 「多くの普通」から外れた使い方に、普通ではない挙動が在る、それはセキュリティホールと同じ構図であり、すなわち、Windows の動作検査の方法に問題が在る事を示唆しているからだ。

 もちろん私はこの事を「フィードバックHUB」から送信した。 もっとも、フィードバックHUB には、当初から「日本語 IME が起動できない」という謎仕様が有り、それを過去にフィードバックしてはいるのだが、未だ改善されてはいなかったので、このフィードバックも Microsoft に響くかどうかは怪しいのだが。

オリン「ピッグ」騒動から、つらつらと考える

 先日、東京五輪の開会式典を統括する立場の人物が、女性芸能人をブタに見立てる構想を持ち出した事を契機に首を切られた。 「人間をブタに見立てる」発言は、たとえ身内の雑談であっても発覚すれば社会から糾弾される……そういう風潮が今や強く在るという事だろう。

 「人間をブタに見立てる」という話から私が思い起こすのは、革新系の方々がよく言う「ネトウヨ達は『肉屋を支持する豚』」という喩えである。

 この喩え自体は、うまく言い当てていると私は思っているのだが、他人様をブタに見立てるという構図は、やはり格好がよろしくない、とも思っていた。 なぜこのような過激な喩えをするのか、発言しているご本人に訊いてみたところ、「それくらい過激な事を言わなければ世の中を変える事は出来ないし、のんびり構えてはいられないから」との由であった。

 とは言え、この喩えを発言する人は、他の人達からは「あの人は対論の相手を人間扱いせず下に見る人物だ」と思われてしまうだろうし(これは革新系が選民思想と指弾される遠因ともなろう)、そうした発言で社会的地位を失う事も有るという事実・時流が見えていないのか、とも思われてしまうのではないだろうか。

 パヨクとかサヨクと揶揄される事も多い革新系の方々だが、実際に接してみると、非常に勉強をしておられ、理論構築には隙が無い。 私よりはるかに若い方であっても、私なぞまったく足許にも及ばないほどの読書量と知識量を持ち、人間社会の未来と完全平和の理想について、熱い思いを強く抱いておられる。 中には、自らの欲のために革新運動を利用している輩も居るであろうが、それは全体から見ればごく少数であるし、そういう事をする人は保守側にも居る。 そもそも革新系思想が多くの人を惹き付けてやまないのは、厚い知識に裏付けられた熱い理想に依るところであろう。

 しかし、私は浅学非才の身にして、常々思うのである。 隙の無い完璧な理論による理想社会というものは、実現できない幻であろう、と。

 我々人間は、動物であり、命を持った生物である。 「生きている」という状態は、常に矛盾を内在している状態であり、それゆえに、動物の世界も、人間社会も、生きている限りは、常に矛盾を抱え、それを永遠に取り繕い続けなければならない宿命を負っている。

 精神科医中井久夫氏は、「成熟とは、『自分がおおぜいのなかの一人(ワン・オブ・ゼム)であり、同時にかけがえのない唯一の自己(ユニーク・アイ)である』という矛盾の上に安心して乗っかっておれることである」と言われた。 作家・池波正太郎氏は、『鬼平犯科帳』の主役・長谷川平蔵に「人間(ひと)とは、妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく。こころをゆるし合うた友をだまして、そのこころを傷つけまいとする」と言わせた。

 細菌や細胞1つの単位で見ても、1人の人間という単位で見ても、自治体、国家社会、人類全体という単位から見ても……どの単位で見ても、それが生きている以上、そこには常に矛盾が存在する。 1つの矛盾を解消しようとすると、「自動的に」新しい矛盾が生まれる、それが「生きている」という事だからであろう。 生命は、このようにして矛盾を取り繕い続ける事で生存しているがゆえに、我々は常に矛盾を内在させたまま、それを取り繕い続けなければならない。

 ところが、革新系の方々は、どうやら矛盾というものを、ひどく嫌っているように、私には見える。 他人の論に矛盾が有ればそこを追及し、自らの理論と生き方から矛盾を排除し、従って他人の生き方や社会の有り様にも矛盾が無いようにと努める。 それは美しく、潔く、気高く、尊いものとして、人の目には映るだろう。 しかしそれは、生き物の生き方としては、「有り得ない」のではないか。

 完璧な社会理論というものが在ったとして、それはその時、その時代だけなら通用しよう。 しかし10年も経てば、おそらく通用しなくなってしまうのではないか。 人も、人の世も、生き続け、矛盾を取り繕い続け、変容していくからである。 誰かが常に持っている欲、科学上の発見、技術の発展、自暴自棄になった人の突飛な行動、未知の病気、自然災害など、世の中を変える要因は数え切れないほど在り、しかもその全てを予測する事はできない。 そのため、ある時点で完璧だった社会理論は、次の世代にとっては完璧なものではなくなり、「完璧『だった』理論」は常に増改築を迫られる。

 過去の言動と現在との矛盾を非難する姿勢は、他人の成長や進歩を許容しないという態度とも言える。 しかし人は勝手に学び、成長し、変容し続ける。 それには10年も要しないかも知れない。 たった1冊の本を読んだ今日と、まだ読んでいない昨日との間で、人の考えは違ってくる事もある。 それを矛盾と指弾し追放する事が、何になると言うのか。

 結局のところ、生き延びられるのは、――自らが矛盾を内包している事に気付くか気付かないかに関わらず――自らを変え続ける者だけであろう。 完璧な存在は永続するものではなく、時代と共に心中するしかない、と私には思える。

  革新系に限らずとも、他人が無矛盾である事、無謬である事に、現在の我々はこだわりすぎている、と私は感じる事がある。 配達や外食店のちょっとしたミス、手続きの誤り、小さなトラブルや言葉尻を捉えて大きく騒ぎ立て、いかに自分が不利益を蒙ったかを喧伝する――そんな人達が目に付くようになったのは、多分にネット社会の発達に依るのであろうが――、そんな事を続けて、有用な人物を追い落としても、全体の利益を損なうだけではなかろうか。 99個の成果を挙げても、1個のミスで立場を失う、という事が「普通」になった社会は、きっと、誰にとっても暮らしにくい社会のはずである。

 偉そうな言い方になってしまうが、立場を追われた元・開会式典統括者は、この騒ぎを成長のための良い機会と捉え、自らを変え、見事に返り咲いて欲しい……私はそう願うのである。

つめたいよるに (江國香織・著)

<この記事は普段フィクションをほとんど読まない私が作者や作品などの情報・評判を全く知らずに、ただ作品だけを読んで好き勝手に書く読書感想です>

 平成元年に発表された9つの短編と、平成5年に発表された12の短編を収めた文庫本。 おそらく著者の初期作品集ということになるのであろうか。

 特に目を引くのは、小学生と老人が多く登場すること、そして小学生の心理描写がとても上手いことである。 そうそう、小学生位の子供ってこんな事考えたりしてたよ、平成元年の頃は、と強く思わされた。

 『夜の子どもたち』はホラーなのかギャグなのか、大いに笑ってしまうシーンがあるけれども、考えてみるとちょっと怖い話かも知れない。 『子供たちの晩餐』は、子供の持つ無邪気な、かつ酷薄な願望が上手く描き出されていて見事だ。 子供って残酷な事を「普通に」平気で、しかも楽しんでするし、それを大人になると忘れてしまうものだが、著者の感覚と記憶はそれをしっかりと掘り返して見せてくれる。 そうかと思えば『冬の日、防衛庁にて』では大人の女の気迫あふれる姿を見事に描いてもみせる。 そしてそれらの描写はどれも全て的確で簡潔だ。 仮に私が書いたら5倍以上の字数を要してしまうであろう。 必要最小限の描写で必要十分な表現をして見せる文章力は素晴らしいとしか言えない。 

つめたいよるに (新潮文庫)

つめたいよるに (新潮文庫)

 

 

M.2 の SSD を初めて使ってみた件

 SSD を起動ドライブにする事が一般的になってから、ウチの中古 PC 達は SATA 接続の SSD を起動ドライブにする事を常としてきた。 しかし先日、サブ PC を買い換えざるを得ない事態になり、ふとマザーボードを見ると M.2 のソケットが、有る……。

 そんなわけで Crucial の CT250P2SSD8JP を衝動買いして DELL Precision Tower 3620 に装着し、USB メモリーから Windows 10 Pro. をクリーンインストールした。 かつて光学ドライブから HDD にインストールした頃に比べると、きわめて短時間で Windows インストールが終わる。 半導体モリー様々である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私がこれまで SATASSD に拘泥してきた理由は大きく2つ、1つは「使ってきた PC 達が微妙に古くて M.2 を使うには別途オプションのボードが必要だった」、もう1つは「正直言って M.2 というモノがよく分からなかった」、である。

 特に後者は、ちょっとばかりネットで調べてみても、NVMe とか AHCI とか、Gen2 とか Gen3 とか、M-key とか B-key とか、2242 とか 2260 とか 2280 とか、そもそも「エムドットツー」ってどういう意味なんだ、とか……ATA ベースの SATA に比べると、かなりややこしいモノに思えて、外野からおっかなびっくり眺めていた、というのが正直なところだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて、今回買い換えた DELL Precision Tower 3620 のマニュアルを見ると、「PCIe SSD カード」なるものが利用可能であるという。 名称・全体形状・端子の感じから見て、これは「NVMe の M.2 SSD」ではないか、と思えた。

 SATA SSD におけるウチの定番 Crucial のサイトで、Precision Tower 3620 に対応する製品を見てみると、確かに M.2 SSD がいくつか見つかった。 この互換性リストを見ると、どうやら「2280」の「PCIe NVMe Gen3」という規格が Precision Tower 3620 に適合するらしい(規格の見方として合っているのかどうかさえ自信が無いが)。 起動用ドライブは、容量こそさほど使わないが、確かに速度が重要だ。 とは言え、たぶん SATA よりは速そうだし、最も安い CT250P2SSD8 で良かろうと思い価格を調べてみると、Amazon が最低価格ではあるがヨドバシカメラも意外と安い(2021/02/20現在)。 と言うわけでヨドバシドットコムで確保し、その日の夜に時間外窓口で購入した。

 ところが……取り付けは簡単だが、ネジが無い。 DELL のマニュアルを見ると、サーマルパッドやネジは当然在るものとして説明されているが、CT250P2SSD8JP には簡単な説明書と本体しか入っていない。 メモリーチップだから放熱は後からでもどうにかなるだろうが、取り付けネジが無いと話にならず……家の中を探すと、適当な小ネジと小さなワッシャーを発見。 これで無事に取り付ける事ができた。 良かった。

 放熱についてはいくつかの製品と評判を見比べて、この製品にした。 いつ届くかは分からないが、まぁのんびり待つ事にしよう。 急ぐ理由は無い。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 まずは放熱対策無しの SATA SSD Crucial CT500MX500SSD1 を、DELL Precision Tower 5810(チップセット Intel C612、CPU Xeon E5-1620 v3、メモリー DDR4-2133 unbuffered ECC 32GB)に装着した際の速度を見てみよう。

CT500MX500SSD1_ON_DELL_T5810

CT500MX500SSD1 on DELL T5810

 次に、放熱対策無しの M.2 SSD Crucial CT250P2SSD8 を、DELL Precision Tower 3620(チップセット Intel C236、CPU Xeon E3-1220 v5、メモリー DDR4-2133 unbuffered ECC 32GB)に装着した際の速度がこれだ。

CT250P2SSD8_ON_DELL_T3620

CT250P2SSD8 on DELL T3620

 いずれも NTFS で無負荷という条件は揃えているが、そもそもの本体 PC が違う上に、規格が全く違うモノ同士なので、比較にあまり意味は無いのだが、技術の進歩はありがたいものだなぁと思うには充分な差であった。

 

 いちおう SATA HDD の参考データとして、Western Digital WD60EZAZ の速度計測結果も載せておく。

WD60EZAZ_ON_DELL_T3620

WD60EZAZ on DELL T3620

……もはや異次元である。

 

 後日、M.2 SSDヒートシンクを付けた状態で再度速度計測をするつもりなので、その結果をここに追記しようと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2021/03/07 追記)

 前述のヒートシンクが届いたので装着して再計測してみた。

CT250P2SSD8_ON_DELL_T3620_WITH_HEATSINK

CT250P2SSD8 on DELL T3620 with heatsink

 わずかだが差は認められる。 あまり激しく使う事は無い PC ではあるが、常にこの程度の速度を保つための投資としては安い。

(以上)

本日は晴天…に、なったなり

 2021年2月15日、昼間の都心はずっと雨だったが、夕方になって、さあーっ、と明るくなり、くっきりと虹が現れた。

2021-02-15-Tokyo-JPN-rainbow

2021/02/15夕刻都心の虹

そして日没近くになると月。

2021-02-15-Tokyo-JPN-moon

2021/02/15都心の月

空気も爽やかで、明日は良い天気であろう。