はじめに
漫画『チ。』が、2024年10月からテレビアニメ化される。 私はとても楽しみにしているが、中世から近世にかけての西欧において、地動説は人間が命と生涯を懸けて獲得した学説だった事を、放映前にざっとおさらいしてみたい。 科学を貫いた人達のドラマが、そこにはある。
古代ギリシャ時代
ピタゴラス派は、地動説を主張していた。 対してアリストテレスらは天動説を支持した。 すでに恒星(いつも同じ場所にある)と惑星(日によって場所が違う)と太陽と月は区別されていたが、当時の天体観測は未熟だったため、地動説と天動説のどちらが正しいという確証は得られなかった。
西暦120年頃
惑星の動きは長らく謎だった。 一定の方向に動いていたかと思いきや、ある日から逆方向に動きはじめ、数日すると、また元の方向に動いてゆくのだ(逆行)。 そのため「惑」う星と呼ばれるようになった。 英語の planet はギリシャ語の planetai(「さまよう人」、「放浪者」の意)を語源としている。
プトレマイオスは、精密な計算と大胆な仮定を採用することにより、天球の面を円運動する惑星の軌道理論を完成させ、ここに天動説が確立された(※1)。
万学の祖・アリストテレスが支持し、多才・プトレマイオスが「証明」したことにより、この後1千年以上にわたって天動説は「定説」となり、西欧のキリスト教的世界観にも強く浸透した。
西暦1543年
この年、コペルニクスが著した『天球の回転について』が出版された。 これは、太陽と惑星の運動にまつわる当時の知見を網羅し、再構築した書物である。 その結果として、プトレマイオス天動説が不自然に複雑で、地動説ならスッキリしていることが示唆されていたが(地球も惑星ならば、惑星逆行は「当然」の現象であり、説明する必要自体が無くなる)、コペルニクスは出版して間もなく世を去ってしまった。
西暦1609年
肉眼による精密な天体観測を続けたティコ・ブラーエは、観測で得られた膨大なデータをケプラーに託した。 その観測データから、ケプラーは以下の2法則を見出した。
- 第1の法則……惑星の軌道は楕円である
- 第2の法則……惑星の公転速度は、太陽に近いほど速い(※2)
第1法則からして、当時の西欧世界では考えられない常識破りの説だった。 この宇宙は神が創りたもうたのだから、すべてが完全なはずであり、惑星の軌道も完全な円である、と考えられていたからだ。 これだけでケプラーは火あぶりにされたかも知れないほど「危険」な説だ。
ただ、ケプラーは、これらの法則を「発見」はしたものの、なぜそうなるのかは解明できなかった。
なお、ガリレイはこの年に人類史上初の「望遠鏡による天体観測」を行っている。
西暦1618年
さらなる観測データ解析を続けたケプラーは、新しい法則を見出した。
- 第3の法則……惑星の公転周期の2乗と、楕円軌道の長半径の3乗との比率は等しい(※3)
しかし、この法則もまた、ケプラーは理由を解明できなかった。 解析した結果としては正しいと確信していたはずだし、だから発表したのだろうが、こうなっている理由までは分からなかった。
ただ、ケプラーは上記3法則から「太陽は『距離の2乗に反比例する、磁力のような見えない力』で惑星を引っ張っている」と気付き、地動説の真実にかなり迫っていた。 地球も「ケプラーの法則にしたがう惑星」のひとつであるとすれば、惑星逆行を含め、惑星の運動はすべてスッキリと説明できる……そうなれば、精密ではあるけれど複雑怪奇な天動説は、説得力を失うだろう。
西暦1630年
ケプラー死去。
西暦1682年
巨大な彗星が現れた。 ハレーは、これを観測し詳細に記録した1人である。
西暦1687年
ニュートンが万有引力説を出版した。 あらゆるものの間に引力という「見えない力」が働いて、全ての質量は引っ張り合い、その力は距離の2乗に反比例する、という説だった。
ニュートンの力学はガリレイの力学を拡張するものとなり、その後20世紀にアインシュタインが現れるまで、世界を説明する力学として200年以上も科学界に君臨し続けた。
西暦1705年
ハレーが、次の巨大彗星は1758年に再び現れると「予言」した。
ハレーは西暦1456年、1531年、1607年にも彗星が飛来していた事を知り、1682年の巨大彗星もこれと同じものではないかと考えた。 自らが観測した巨大彗星の軌道が、万有引力説にのっとっていると仮定して計算したところ、この巨大彗星はケプラーの法則にしたがう楕円軌道で太陽を回り、「次」は1758年に現れるという結論に達した。
言い換えると、ケプラーの法則は万有引力説によって説明できることを、ハレーは計算によって見出したのだ。 もしハレーの「予言」が当たれば、ケプラーの法則の裏にはニュートン力学が在り、地球も惑星のひとつである、すなわち地動説こそが真実に近い、と証明することになる。
西暦1727年
ニュートン死去。
西暦1741年
ハレー死去。
西暦1758年
ハレーの「予言」した軌道を通る巨大彗星が出現した。 ハレーの予言は見事に成就し、実証された。 すなわち、
- 万有引力説は世界を説明できる妥当な説である
- ケプラーの法則は万有引力説から導出され、万有引力のもとでは正しい
- 惑星以外にも太陽を周回する天体が存在する
- 未知の惑星や、太陽を周回する未知の天体は、ケプラーの法則によって予見・発見できる
- 過去と未来の惑星の位置も計算可能である
などの事柄が同時に示され、1500年の長きにわたって信奉されたプトレマイオスの天動説は、ついに葬られた。
数ある彗星のなかで、この巨大彗星は周期彗星番号「1」の栄誉を与えられ、ハレーの名が冠された。
おわりに
現代の我々は、地球が太陽の周りを回っていることを、当たり前だと思っている。
しかし、コペルニクスも、ケプラーも、ガリレイも、ハレーも、ニュートンも、これら偉大な学者たちは、誰ひとりとして、地動説の「勝利」を見ず、天動説が支配する世界で死んでいった。 彼らは、自ら観測し計算して得たそれぞれの地動説を、後世の誰かが引き継ぎ、新しい説を継ぎ足して強めてくれる事を信じていたと思いたい。
コペルニクスが地動説の支持を表明してから、ハレーの予言が成就するまで200年以上の間、偉大な人物たちが、地動説を受け継ぎ、より強く育てていった……そこに私は人間と科学への希望、科学のドラマと熱いロマンを見る。 漫画・アニメの題材として、まことにうってつけであろう。
脚注
※1:天動説は、結果的には誤っていたが、しかしそれでも、「当時の」知見から得られた科学であった事を、私は疑わない。 科学はつねに仮説である……その時に使える知見と技術によって得られる仮説である。 時代が進み、新しい仮説が実証されれば、科学は進歩してゆく。 だから「後になってみれば誤りと分かる『古い』説」の存在は大切であり、最新科学だけでなく科学史も大切なのだ。
※2:より詳らかに言えば、「ある単位時間における、惑星の運行曲線の始点と終点、それらと太陽を結ぶ扇形の面積は、どの時期においても等しい」。 万有引力のもとで角運動量は保存される、ということだが、ニュートン以前には、これが分からなかった。
※3:たとえば金星の公転周期は約0.62年(地球年)で、金星と太陽の最長距離は約0.72天文単位である(太陽と地球の間は1)。 0.62の2乗=0.38は、0.72の3乗=0.37と、ほぼ等しい。
(了)