khurata’s blog

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矛盾と嫉妬

 断言する、という事はなかなか難しい。 何しろ世の中は「こうだ」と言い切れることってあまり無いのである。 「科学的知見」ですら、言い切って良いものではないのだ。

 ZOZOTOWN の創業者である前澤氏が、日本の一般民間人として初めて ISS国際宇宙ステーション)に滞在する、という報道を受けて、一部の方々からは批判が起こったようである。

 いちいち詳しくは見ていないが、「金持ちの道楽見せられてもなぁ」とか、「個人的な趣味・享楽より、動物愛護とか、もっと喫緊・必要な事に使ってほしい」とか、おおむねそんなところのようだ。
 しかし――貧乏暮らしの私が言うのも何だが――、そうした批判的な意見(に見える文句)は、全て矛盾か嫉妬である、と私は言い切る。

 

 金持ちの道楽見せられても、というのはテレビ朝日の報道キャスターの言らしいが、民放が、どれだけ普段から金持ちの道楽を放送しているか、ご存じないのだろうか。 リチャード・ブランソン氏の「ヴァージン・ギャラクティック」は金持ちの道楽ではないのか。 イーロン=マスク氏の「スペースX」はどうなのだ。 高級グルメ、豪華客船、世界のあちこちに旅して回る、そういう番組は何なのだ。
 そもそもの話として、民放という存在自体、壮大な金持ちの道楽ではないのか(秋山豊寛氏はTBS在籍時に本邦初の宇宙飛行士となった;そのため毛利衛氏は本邦初にはなれなかった※)。 「金持ちの道楽」発言は、民放の人間としては矛盾していると言わざるを得ない。

 

 動物愛護とか喫緊の課題に使うべきだ、と言う方々には、上から目線で恐縮だが、「恥を知れ」と申し上げたい。
 そんな事は自分のカネか、税金でやるべき事であって(もしくは自ら財をなげうってくれる人を待つ)、他人様の懐に手を突っ込んで「これをやれ」と言う筋合いは無い。
 それを平然と、公けに主張する人物は、「私は、他人様のカネで、自分がやりたい事をやるべきだ、そう考えているのです」と言っているに等しい。

 確かに、動物愛護や、喫緊の課題は有ろう。 それは一個人の道楽よりもはるかに「重い」ものかもしれない。 「喫緊」の「当事者」である方達にとっては、特にそうであろう。 「こんなに苦しい自分(達)が、さも存在しないかのように、百億ものカネで享楽しているなんて」と憤慨もされているであろう。

 だがしかし、重ねて申し上げるが、喫緊の窮状は他人様の私財を求めて「助けてもらう」物事では無いのだ。 あくまで自助か、税金によって、賄われるべき事である(もしくは「助けてあげましょう」と自ら名乗り出る人物を「待つ」べきである)。
 だから、そのように憤慨される方々は、自治体や国に向かって、どれだけ困窮しているか、どれだけ切迫しているかを常々訴え、選挙にあたっては権利を行使しなければならない。
 他人様の懐に手を突っ込むような真似や、それを是とする言動は、自らを低きに貶めるのみと知るべきである。

 


※ この事から、当時は秋山氏がかなり非難された憶えがある。 しかし秋山氏はあくまで会社員として社の業務命令に従っただけであり、秋山氏を批判するのはお門違いであろう。