khurata’s blog

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「日本語の乱れ」とは

 昨日(2021年7月7日)、夕刻に日本テレビnews every.」をたまたま見ていたら、その中で、どこの国の、どの地域かは憶えていないが、仔ゾウが泥の斜面を滑って遊んでいる場面が放映されていた。

 その説明で、しきりに「子どものゾウが」、「子どものゾウが」、と発話していて、たぶん4~5回は言っていたであろうか、聞いていて気になってしまった。

 「そこは『ゾウの子ども』でしょ」と心の中で突っ込んでみたが、この原稿を書いた人は、気にならないのだろうか。

 アナウンサーは、たぶん原稿を忠実に読んでいるだけなので、ナレーションを入れていたアナウンサー自身に非は無いと思うし、周囲が突っ込みを入れるのも手遅れであろう。 従って、私の突っ込みは原稿を執筆した人に対してのものだ。

 この原稿執筆者は、「子どものキリンが」とか「子どものライオンが」とかも、たぶん平気で言うし書くのだろう。

 だが、この執筆者も「子どもの人間が」とはおそらく言うまいし書くまい。 そこはきっと「人間の子どもが」とするだろう。 「ゾウ」とか「キリン」ではなく「人間」という単語を持ち出せばはっきりと分かる事だが、「子どもの~」と「~の子ども」は、非対称な言い回しであり、互換性が無いのだ。

 TVなどのマスコミで「はにゃ?」という若者言葉が取り上げられていた事は記憶に新しい。 以前にも「マジ卍」とか「秒で」とか「おこ」などの若者言葉が話題に取り上げられていた記憶が有るが、そうした企画からは「若者の感覚にはとても付いて行けない」という諦め・羨みと、「日本語の乱れが嘆かわしい」という感情の入り混ざりが感じられる。 私も年配だからか、後者については同調しないでもない。 しかし後者の感情を抱くならば、「子どものゾウが」という原稿についても、違和感を持てなければならぬであろう。

 ちなみに、私の老母(70歳代後半)に「子どものゾウが、ってTVで言ってたんだけど」と話したら、即座に「おかしい、そこはゾウの子どもだ」と返答された。 全員が・大多数がそうだ、とは言わないが、たぶん、ある程度以上の年齢の人には、「子どものゾウが」という言い回しは、少し耳に障るのではなかろうか。

 もし、くだんの原稿執筆者が若い方だから、こうした事に気付けなかった、という事情が有るのであれば、局にいるであろう仕事の先輩は、原稿を見て指摘できなかった事を悔いるべきである。 1度音読すれば、その違和感にはすぐ気付けたはずだからだ。 くだんの仔ゾウ映像は、緊急性や速報性が求められるものではなかった。 だからこそ、「news every.」の原稿チェックは甘い、もしくはチェック自体していないのではないか、とすら疑ってしまう。

 近年「TV離れ」などと言われるが、それでも数百万人に対して一斉・瞬時に言葉が届くのがTVである。 緊急で無い事にこそ、言葉を精査する姿勢を放送マスコミには求めたい。 「子どものゾウが」という、たったひと言の些細な言い回しから、こんな長文を書いてしまう口うるさいオッサンも見ているのだ。