khurata’s blog

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若者の「恋愛離れ」の原因を考えてみたりする

(もともと「Yahoo!知恵袋」の「知恵ノート」だったものを転載しています)
(最終更新日時:2015/11/6)投稿日:2015/3/3

はじめに

 本ノートは、2015年1月22日に、筆者の mixi 日記で書いた内容を、「知恵ノート」に持ち出したものである。 所詮、何も知らない著者が勝手に推理しているだけの内容だが、何らかの役に立てれば幸いと思い投稿する。

 

2015年の新成人のデータ

 結婚相談所・楽天オーネット調べによる、2015年新成人の恋愛・結婚意識調査結果によると(注意!そのままクリックすると PDF が開きます)……
http://onet.rakuten.co.jp/company/activity/report/research/print/20150105.pdf

  • 今まで交際した相手がひとりもいない若者は、ほぼ2人に1人(男性50.0%、?性45.7%)
  • 現在「交際相手がいない」若者は全体の74.3%
  • 片思いを含め、誰かを好きになった経験が「1回もない」は全体の19.0%
  • 異性とのコミュニケーションが苦手なのは全体の65.0%
  • 恋愛には「積極さが必要だ」という回答は68.0%
  • しかし「自分は積極的ではない」が65.5%
  • 「人からペースを崩されたくない」は過去最高の92.2%
  • 交際相?がほしいという気持ちは、2000年の90.0%から、62.6%に減

……のだそうである。 これが「全て」ではないが、概ねの傾向としては、使えるだろう。

 「少子化を何とかしなければ」「若者は結婚しろ」といくら言ったところで、当事者の意識がこれでは、どうしようもない。

 政府や自治体、あるいは子を持つ親御さん達は、なぜ積極的になれないのか、おカネが無いからではないか、時間が取れないからではないか、と考える。
 経済的な事情も確かに有ろう。 しかし、本当に好いた者同士は、貧しくても一緒に頑張れる事が幸せなのだ。 「他人を好きになる」という行為自体から、今の若者は離れているように、私には見える。

 

他人を好きにならない「教え」

 なぜ「他人を好きになる」ことから遠ざかるのか。 親(や学校)の子育てに原因を探るのは、あながち間違いでは有るまい。 子がそうなのは、そのように育てられたからである、と考えられるからだ。
(ごく少数の、病的な素因を持つ者を除いては、子供や若者の「問題行動」は、育てた側に原因が有る、というのが私の考えです)

 とは言え、「他人を好きになるな」「他人と距離をとれ」と教える親はいないだろう。 しかしおそらく、親が良かれと思って教えたこと、その中に、他人を好きになれない「大きな教え」が有ると私は考える。

 「優しい子」、という言葉が、おそらくキーワードではないかと、私は思う。

 私自身、親世代から、「優しい子に育ってほしい」と言われた世代だが、とにかく、現代の親御さんは、「優しい子に育ってほしい」と、よく口にする。

 http://www.kyoushi.jp/entries/2154 のような例を出すまでもなく、「優しい子に育てる」というのは、今、我が国の子育てにおける大前提になっていると思える。
(また、多くの人が、異性に対して「優しさ」を求める傾向が強いと私は感じる)

 暴力的な子や、他人を思いやれない子は、確かに問題児である。 しかし、「優しい子」というのも、それに劣らず「問題児」ではないかと私は考える。

 親が漠然とイメージする「優しい子」は、他者を傷付けるような事をしない。 また、おそらくは、他者から傷付けられる事もおそれる。

 だから、他者と戦うという事に積極的になれない。

 戦って、相手を打ち負かした勝者は、謙虚であればよい。 敗れた者は、潔く認めればよい。 こうした態度を持つ者同士は、戦った後に、「戦友」になれるだろう。 同種どうしの戦いで重要なのは、相手を殺したりせず、尊重することである。

 親御さん達は、そもそも、我が子を戦いに送り込みたくないだろう。 誰かを傷付け、誰かに傷付けられる、そんな人生よりも、優しい人達に囲まれ、平穏無事に暮らす事を、我が子に望むのではないか。

 しかし、親御さんの願いに関係無く、「恋愛市場」「結婚市場」は、戦地である。 意中の人を巡って、時には知人・友人と相争い、人を深く傷付け、つらい別れを経験することもある。

 「相手を傷付けてはいけない」と教えたその時から、「若者」はすでに戦地から立ち去っている。 これでは「売れ残る」は必定である。 親御さんが「優しい子に」と願った結末は、孤独な人生を送る我が子なのである。

 これは、国家間の戦争に子を送り込む、という話とは、別の話である。 戦争は、相手を殺す事が是であり、勝敗がついた後で相手を認め合う、という行為ではない。

 

戦うことをおそれなくて済む社会

 しかし、ただ「積極的に戦え」と教えるだけでは問題児が育つばかりである。 「他者との戦い」は、他者を尊重するという基盤の上で為されねばならない。 「戦うことをおそれない」姿勢や社会風土は、戦いの相手を尊重するという文化・風潮のもとでしか、発達しないだろう。

 「全員が」「優しい子に育ってほしい」という願いは、「この日本社会は、戦う相手を尊重しない社会だから」と、親御さんが暗に認めてしまっているという事の裏返しなのかもしれない。 この仮定が正しいのならば、我が国の少子化問題の根は深い。

 恋人や夫婦という関係が「戦友」であるかどうか・あるべきかどうか、私には何とも言えない。 しかし、何かがあった時に、1人で戦うよりも、2人で立ち向かうほうが、はるかに有利である事は確かだ。 「2人の戦力」は「1人の2倍」以上だからである。
(そうでなければ、人が組織を作る意味は無くなってしまう)

 ヒトは、社会性動物である。 厳しい自然の中で、より楽に、より豊かに生き延びるために、家族を形成し、町を作り、国を造った。 この力の基礎となるのが、異性との結び付きである。 もし、この基礎が緩み崩れたら、町も国家も保たない。

 「他人と戦うことをおそれるな、相手を尊重する事を忘れるな」という教えは、「優しい子に育て」という教えより、はるかに実の有るものであろう。

 

スポーツについて

 戦った相手を尊重する、という考えは、スポーツの精神と共通する。 思えば、体育会系の人達は、恋愛や結婚、子育てがうまくいっている人が多い、 というイメージがある(残念ながら正確なデータは知らないが)。 なぜそうなのか、単に「カッコいいから、モテるから」という事だけではなく、競技における幾度の勝敗を通じて、他者との関係について学び身に付けたことが多いからでは無かろうか。 本人達が意識しているかどうかは分からないが。

 

おわりに

 冒頭でお断りした通り、自分ながらずいぶんと勝手な妄想を繰り広げた。 しかし、「戦わない者に未来は無い」は真実であると私は信じる。 相手を尊重するという、言ってみれば当たり前の対人姿勢が徹底されていれば、戦いをおそれる必要は全く無いはずだ。 むしろ、戦いの場数を踏むほどに、人間として成長するだろう。
 世の親御さんや、教育に携わる方々が、少しでも、そうした事に思いを致していただければ、事態は改善に向かうのではないかと思う。

(転載以上)